2011年05月14日16:16顔グラ総覧(三國志)-第1回 劉備
劉備    玄徳 (161~223)



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三國志Ⅱ三國志Ⅲ國志Ⅳ三國志Ⅴ三國志Ⅵ三國志Ⅶ
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劉備
三國志Ⅷ三國志Ⅸ三國志10三國志11三国鼎立2

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★★★
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劉備といえば三国志の主役の一人である。一介の筵(むしろ)売りであった彼は関羽、張飛と共に黄巾討伐の軍に挙兵。
その後曹操の専横が激しくなるとこれに反発するも敗れ、劉表の所に逃れ諸葛亮を軍師に向かい入れ曹操と戦う。しかし劉備を慕う10万もの民衆を匿ったため曹操に敗北。その後呉の孫権・周瑜と結託し赤壁で曹操を撃破。益州の劉璋を破りここに本拠地を置き、曹操の魏、孫権の呉、そして劉備の蜀と見事天下三分の計を実現させる。
しかし盟約を裏切って義弟・関羽を殺した孫権に憤った劉備は周囲の制止を振り切り大軍を持って夷陵にて呉の陸遜と対峙。しかし火計をもってこれを壊滅させられ、更に義弟の張飛にも先立たれ、子・劉禅を諸葛亮に託して失意のうちに病死した。蜀の昭列帝。




三国志演義では劉備は荒廃した国を憂え、民衆を想い、義理に厚く、またかえって優柔不断な一面を見せる物語の主人公として描かれている。しかし正史ではうってかわって劉備は乱世を生き残るため幾度かの裏切りを繰り返し(曹操から離反、劉璋を併合)大陸に領土を手に入れた、むしろ野心家として描かれている。

顔グラの方だが、三國志Ⅱの山賊っぽい身なりはさておき、それ以降は蜀の皇帝らしく堂々たる風格を持った人物として描かれている。やはり群雄割拠の大陸を生き残るためにはこれくらいの風格を有していたのだろう。
しかしⅦとⅧではイメチェンをして、かつての威厳はどこへやら。へなへなと含み笑いを浮かべた三枚目へと成り下がってしまった。まるでこれでは大陸の群雄というよりは一介の商人である。
まあ何も起こらなければ寂しい筵(むしろ)売りとして一生を過ごしたはずであるからこれもある意味間違いではないのだが……、「オニーサン、ムシロヤスイヨー、ヒトツカッテヨー」なんて台詞が似合いそうだ。
蒼天航路の影響なんだろうか。
10からはまた逞しさが戻り血の気も良くなった。しかし11の晩年ではどこか遠くを見つめて寂しそうだ。
長い間苦楽を共にした義兄弟の関羽、張飛に先立たれ、自分も死期を悟っているのだろうか。白髪もめっきり増えてしまった。
フリーゲームの三国鼎立2では演義の善人のイメージからかけ離れた、ゴツい劉備の顔グラが描かれている。
どちらかというとアラブの富豪とでも言うくらい濃い顔立ちだが、これは正史ベースなのだろうか。
ひげ面にはにかんだ笑みからは今にも含んだ野心が見え隠れしそうだ。まあ実際このゲームの劉備は信義が0なのんで配下としては信用ならないのだが。

呂布に「この大耳野郎!」と罵られた所以だろうか。全体として劉備は福耳が非常に発達している。


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